希望をつなぐ。
大きな変化、悲惨なニュース、覆される常識。
圧倒的な現実に自分の小ささ、無力さを感じる日々。
それでも、そんな中でも、希望をつないでいく。
無責任な批判や実行の伴わない言葉ではなく、実際に自ら行動し、具体的な制度や仕組みを考え、提案し続ける。
その小さな積み重ねが希望ある未来に繋がることを信じて。
2011年05月14日
初投稿!
初めまして!
福岡県飯塚市に暮らす青年実業家&政治家の永末雄大です。
まずは自己紹介。
1979年、福岡県飯塚市に生まれました。
幼少のころより、市内のスイミングスクールに通い始め、以来30年近く水泳を続けています。
今まで大きな怪我や病気がないのは水泳のおかげだと思っています。
プールで泳ぐことの気持ちよさ、素晴らしさは後々熱く語らせていただきます
高校は地元の県立嘉穂高校に進学しました。文武両道の校風でしたが、水泳漬けで・・・
2度のセンター試験を経験して、なんとか広島大に進学できたのでよしとしています。
大学時代は法律を勉強していました。特に会社法が面白く、当時の知識が今の行政書士という仕事で役立つこともあります。
大学卒業時は周囲の人と同じように企業に就職するか、法律の資格の勉強をするかで本当に悩みに悩みました。
企業に就職して広い世界で色々な経験を積むことはとても魅力的でしたが、大好きな地元飯塚の活性化のために地元で何かしたいという思いから飯塚に戻り勉強することを選択しました。
昼間アルバイトで働いて、夜勉強というサイクルでいろいろな資格に挑戦しました。今の職業である行政書士もこの時に取得しました。
数年そのような生活を続けていましたが、ある時、資格を取得することが目的となってしまっている自分に気が付きました。
将来、行政書士事務所を開業することは決めていましたが、一度社会をしっかり見ておく必要性を感じていましたし、サラリーマンとしての経験をしておくことが、人を雇う側になる時きっと役に立つだろうとの考えから、福岡市内の会社に就職を決めました。
就職先は不動産会社で、宅地建物取引主任者の資格を持っていたのもあり営業部に配属されました。
分譲マンションの販売をする会社でしたので、当然、マンションを売らなければいけないのですが、待っていてもお客は来てくれないので、営業の電話を朝から晩までやったり、チラシを何千枚も配ったりと、最初のころは本当にたいへんなところに就職してしまったなと思っていました。
大変な思いをしながらも、入社からしばらくたつと、少しずつ結果がでるようになり、仕事も面白くなってきていましたが、リーマンショックによる世界的な不況のあおりを受け、会社が事業を大きく縮小することになったのを機に、会社を退社することにしました。(続く・・・)
福岡県飯塚市に暮らす青年実業家&政治家の永末雄大です。
まずは自己紹介。
1979年、福岡県飯塚市に生まれました。
幼少のころより、市内のスイミングスクールに通い始め、以来30年近く水泳を続けています。
今まで大きな怪我や病気がないのは水泳のおかげだと思っています。
プールで泳ぐことの気持ちよさ、素晴らしさは後々熱く語らせていただきます
高校は地元の県立嘉穂高校に進学しました。文武両道の校風でしたが、水泳漬けで・・・
2度のセンター試験を経験して、なんとか広島大に進学できたのでよしとしています。
大学時代は法律を勉強していました。特に会社法が面白く、当時の知識が今の行政書士という仕事で役立つこともあります。
大学卒業時は周囲の人と同じように企業に就職するか、法律の資格の勉強をするかで本当に悩みに悩みました。
企業に就職して広い世界で色々な経験を積むことはとても魅力的でしたが、大好きな地元飯塚の活性化のために地元で何かしたいという思いから飯塚に戻り勉強することを選択しました。
昼間アルバイトで働いて、夜勉強というサイクルでいろいろな資格に挑戦しました。今の職業である行政書士もこの時に取得しました。
数年そのような生活を続けていましたが、ある時、資格を取得することが目的となってしまっている自分に気が付きました。
将来、行政書士事務所を開業することは決めていましたが、一度社会をしっかり見ておく必要性を感じていましたし、サラリーマンとしての経験をしておくことが、人を雇う側になる時きっと役に立つだろうとの考えから、福岡市内の会社に就職を決めました。
就職先は不動産会社で、宅地建物取引主任者の資格を持っていたのもあり営業部に配属されました。
分譲マンションの販売をする会社でしたので、当然、マンションを売らなければいけないのですが、待っていてもお客は来てくれないので、営業の電話を朝から晩までやったり、チラシを何千枚も配ったりと、最初のころは本当にたいへんなところに就職してしまったなと思っていました。
大変な思いをしながらも、入社からしばらくたつと、少しずつ結果がでるようになり、仕事も面白くなってきていましたが、リーマンショックによる世界的な不況のあおりを受け、会社が事業を大きく縮小することになったのを機に、会社を退社することにしました。(続く・・・)
Posted by 永末雄大 at 02:02│Comments(0)
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